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2005年3月12

デイリーポータルZコネタ道場に採用されました。うれしくって小躍りしてます。

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気がつくと個人サイトってみんなBlogになっている。

この欄を含めてDreamweaver4を開いていちいち編集している現状からしてみたら、ブラウザで編集からなにからできるのはかなり便利そうだ。去年の暮れに買ったiBookG4用のDreamweaver買わなくてもいいし。

それで、サイトの引っ越しにあわせてこの欄とか速報ダム日和をBlog化しようと考えているのだが、ちょっと気になることがある。どこのサービスも文字が小さくってよくわからないリンクがいっぱいあることだ。

試しにいくつかアカウントをとって使ってみたのだが、自分が入力した部分以外の文字がたくさん書かれているのがなんだかいやだ。文字が小さいのも相まって、なんだかすごく読みにくい。

高齢者向けのラジオなんかでスイッチのキャプションが全部日本語表記になっているのがあるが、あれを買う人の気分がちょっとわかった気がする。

2005年3月4

iPodいいですね。

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首都圏外郭放水路の見学会に申し込んでいたのだが、雪のせいで中止になった。有休とって気合い入れて参加したのに。

雪降ってるけど、まあ地下だから大丈夫だろうと思いながら出かける準備していた所、携帯に「国から中止の指示があったので申し訳ありませんが中止させて頂きます」との電話。いきなり国なんて単語が出てきて少々面食らい気味だが、国が止めるならしょうがない。

それにしても、この首都圏外郭放水路に関してはひたすら運が悪い。去年の11月に開かれたイベントの抽選にはずれ(2倍くらいの倍率だったらしい)、午前中なら一般の人も見学できるということで中だけは見ることができたものの、参加者札をつけた人が入ってくるのをうらやましそうに眺めつつ会場を後にした。そんなこんなで今度こそという思いで申し込んだのだが、今度は雪。祟られている。

で、しょうがないので久しぶりに県立図書館でネタ集めしようかと出かけたのだが、読んでみようと思ってた「夏のロケット」があるのを見つけてひたすら読みふける。いい話です。

ちなみに、11月のイベントでは豚汁が振る舞われていたが、食べられるのはイベントの参加者のみ。おいしそうに食べてる横を歩くのは本気でへこんだ。そんなに追いつめないでほしい。

2005年1月20

寒いので動けませーん。

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明けましておめでとうございます、というのもかなりどうかと思う時期ですが、今年もよろしくお願いします。久しぶりなので勝手がよくわからずですます調で書きます。

ダムやら砂防やらなんやらかんやら見てきて、頭の中で情報がとっちらかって収拾がつかずここ2年くらい一体どうしたらいいのだろうという気持ちで訳がわからなくなっていたのですが、なんか吹っ切れました。まあ、湯当たりみたいなもんです。

そんなわけで、今年はダムを回るぞー!崩れも見に行くぞー!見学会に応募しまくって参加しまくるぞー!

微妙に変なテンションですが、ダム日和は引っ越しする予定です。引っ越し先は更新が止まって久しい(まさにやりたかったことBlogでやってる方がいらっしゃるので・・・)土木趣味情報Wikiのとこになる予定ですが、まだ未定です。

2004年10月21

明日の夜、夜行列車にのって土曜日アルペンルートを越えてきます。その模様は速報ダム日和にておおくりする予定。

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ダムや砂防の現場をまわり始めてずいぶん立つが、時々ドラクエかなんかやっているような気分になる時がある。

単に見学するだけでも、公的機関やらダムファン関係のページなどで見学してみたい場所情報を収集して、ロードマップやら、国土地理院の地形図等を駆使し、場合に寄っては現地に問い合わせたりして具体的なプランを立て、その他諸々準備して、ようやく出発。途中やたら狭い崖道にもめげず、堤体は見えるのに近づけずうろうろ、なんだかんだあってようやく現地にたどり着く…。

ダムや崩壊地自体に当然魅力が有ることは確かであるが、(少なくとも私に限って言えば)計画を完遂する快感が調べ物をしたり、いろんな手続きをさせているような気がする。すべてがうまくいったあとには感動の対面が待っているのだ、ダムとか崩壊地とかとの。

エンディングを見たらそのゲームはおしまい。あー、だからレポートかけないのか。と自分に納得させたところでなんにもならないことは自分でもよくわかっている。

2004年9月23

久々に中を更新。

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天気が良かったので今回追加したページ書く資料にと、まだ行っていない新潟の松之山地すべりを調べに行こうと思い立ったのが日曜日。調べてみると新潟に「地すべり資料館」というのがあることがわかったので翌日特に深く考えずカーナビに電話番号を入れて指示されるままに向かった。

板倉町にある地すべり資料館に着いて出発のスケジュール立てるために松之山町の住所を検索したところ所要時間が1時間。全然離れてるじゃん。

実はツーリングマップルが行方不明になって事前に位置関係を調べて無かったのだ。まさかこんなに地すべりが沢山点在してあるとも思わなかったし。

なにかやりきれない気分のまま、資料館の中を見学する。地すべりに関する展示が並ぶ中、2階にカーテンで仕切られた空間があり、何かと思って見てみるとこんな光景が広がっていた。

訳がわからない展示室に見学者は私一人。はっきり言って怖くなって、よく見ず外へ出たところ「猿供養寺物語と人柱伝説」というタイトルのA4大の小冊子の見本ががおいてあった。とりあえず買っておこうと入り口で500円を出して購入して跡にしたのだった。

で、なんだかんだあって松之山町は素通りして帰ってきたのだが、買ってきた小冊子を読んでみたところあの展示の意味がわかった。どうやらこの土地に伝わる2つの伝承「猿供養寺物語」と「人柱伝説」について背後に隠れている謎を解説していたのだ。小冊子はこの謎を2人の女子大生が解明するという(北村薫や加納朋子あたりを彷彿とさせるような)推理小説仕立てにしてあり、最後まで一気に読んでしまった。小説としてみたらいろいろあると思うが、素材のおもしろさと、おそらく著者がこの謎を解いたときの驚きが素直に伝わってくるのだ。私が、砂防に興味があるというのを差し引いても、たぶんこれは面白いと思う。

そんなわけで、今個人的に板倉町ブームである。勝手にファンサイトつくって、ファンレターとか書きそうな勢いだ。

地すべり資料館(新潟県中頸城郡板倉町)

2004年8月6

連休どうしよう。

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先日、出張で都内に出向いた時のこと。帰りに上司と飲んだ後、ちょっと足をのばして以前通っていた会社に一人行ってみることにした。

1年くらいじゃそんなに変わってないかなーと、ちょっとした期待を胸に地下鉄を降りると、目に飛び込んできたのはデジャブな風景。実物見ているが。

なんだか不思議な気分になりつつ出口の階段を昇ると、酔っぱらってソフトフォーカス気味の眼前に広がるのはいつかどこかで見た風景ばかり。あのビルもある、このコンビニもある、いつも通ったそば屋さんもある・・・。

走馬燈のような風景ってこんな感じだろうかと思った。

 

2004年7月24

土木趣味情報Wikiの方にかかり切りになってました、っていえるほどかかり切りになってない。

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「立入禁止」の看板2つ。どちらも埼玉県大利根町にて。

 

「危険だから怖いよ」という理論を通り越して直接感覚に訴えている。

ポケモンみたいな生物に丁寧語でたしなめられる。

というわけで、現在、利根川をいろいろ調べている。利根川を軸に3つくらいのテーマで展開する予定。夏休みの宿題だと思って頑張ります。

2004年6月19

ためしに公開してみます土木趣味情報Wiki。方向性は作りながら決める、っと。

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先日テレビを見ていたら、ハワイを紹介する番組をやっていた。

内容はよくある現地の観光スポットやグルメ情報に加えて、ハワイで暮らすための情報として、何件か物件の紹介をしていた。詳細は忘れてしまったが、一戸建てで庭にプール付き、値段は6億円で「ここで暮らせばあなたもセレブ気分」とのこと。

6億叩いて外国のリゾートに家買って住むような人は「セレブ気分」じゃなくてすでに「セレブ」じゃないのか?

例えるなら、大学受かってるのに大学生気分(本と筆記用具をもってキャンパスをうろうろ。でも授業は受けない)とか、宇宙に行って宇宙飛行士気分(操縦とか実験とかしないでただ浮いてるだけ)とか。

あ、そっちの方が気楽そうだ。

2004年6月6

皆さんのご愛顧によりまして1万カウントの大台を迎える事ができました。ありがとうございます。ちなみに、その10000カウント目を踏んだのは、私。

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実は10000カウントにあわせて5月9日に書いていたサイトを公開しようとしていたのだが、結局間に合わなくて「どうしよう・・・」と唸っているうちにまた更新の感覚があいてしまった。原因は特にない。

で、それだけでは申し訳ないので別の話。

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共同溝という施設がある。ガス・電気・上下水道といったものを一つにまとめて収容する施設であり、従来のそれぞれ独立して埋設していた方式より数々のメリットがあるため各地で整備が行われている。で、現在国道1号線・虎ノ門から日比谷にかけての真下に作られている日比谷共同溝の工事現場を公開するイベントが、東京ジオサイトプロジェクトである。

で、前回4月24日に私も参加させて頂いたのだが、現地に着いてあまりの盛況ぶりにびっくりした。公式サイトによると1700名の入場者数だそうで、1時に到着したのだが中に入れたのは3時過ぎだった。ひょっとして土木、流行ってるのか?

40mの縦坑と稼働直前の本物のシールドマシーンは掛け値なしにすごかった。あと、要所要所毎に現場の方が解説員として立っていてちゃんと質問に答えて頂けるのが非常に良かった。ちょっと地味な(でもシールドマシーンの掘削を支える要となっている)ヤード部の泥水処理設備なんておざなりになりそうだが、ちゃんとそういうことを説明して頂ける人がいると単なる景色が意味を持ってくると思う。

まあ、このイベントに関してはそれなりに予算を組んで取り組んでいるそうで、展示物一つをとってもセンスがいいし、見せ方もしっかりしている。公式サイトもかっこいいし。これが無駄かどうかという議論は有るだろうが、少なくともおもしろい方向性で有ることは確かだなとは思う。

と、なんでこんな事を書いたかというと、C2020はこのときが修理後初だったのを思い出したのだ。ごめんOLYMPUS。きっと新しいデジカメ買います。

2004年5月24

日曜日に修理に出したC2020が土曜日に帰ってきた。しかも無償修理。やっぱOLYMPUSだ。

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群馬に戻ってきて車使うようになってから、運動量と読書量がやたら減ったと思う。

一人暮らしをしてたときは駅まで歩いて15分の所に住んでたので、必ず30分は歩いていた。だが今は通勤はもちろん、ちょっとコンビニ行くにも車だし(これは住んでる場所が悪いという理由もあるが・・・)はっきり言って歩かない。

本も通勤電車の中で読み始めて、気分が乗らないときは鞄にポン、乗ってきたらそのままサイゼリヤ辺りで本を片手にサラダをむしゃむしゃみたいな事をよくやっていたのだが、さすがに運転中はそんなことできない。うちに帰るとパソコン立ち上げてメール確認してホームページ見て・・・となってしまうので本に取りかかれない。

で、昨日の土曜日、都内に出かけるので鈍行で往復したのだが、読書がどんどん進む。買ったまま読んでなかった本を2冊読み切ってしまった。列車が私を有意義にさせる。JRのキャッチフレーズにどうだろう。だめか。

2004年5月16

「ダムツアー」行ってきました。楽しかったです。お世話になった皆さんに感謝です。

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さて、そのダムツアーの初っぱなで、デジカメ(OLYMPUS C2020 ZOOM)が壊れた。1月に水ぬれで修理に出してレンズを一式交換したのだが、そこがぽろっととれたのだ。滅多に入れないところが盛りだくさんだったので叫びたい気分だ。実は4月に奥清津発電所に行ってそこで使い初めをしようとしたのだが、スマートメディアを忘れて結局使えなかった(速報ダム日和をご参照ください)。だから、修理後今回が実質使い初めだったのだ。

そんなわけで、壊れたデジカメを修理に出す一方、新しいデジカメの物色を始めている。

主目的がダムや崩壊地の撮影なので、広角撮影できるというのが第一条件だ(C2020も当時としてはかなり広角の35mmだったので購入した)。やっぱりまたOLYMPUSがいいかな、なんてビックカメラに行ってみたら、売り場のはずれにこのカメラがあった。

 

2004年5月9

どうも、お久しぶりです。生きてますよー。

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実は新しいサイトを作ろうかと考えている。というか、考えているといいつつもうレンタルサーバ借りる手続きしてるので実はやる気満々である。

で、どんな事をしようとしているのかというと、簡単に言えば土木関係のイベント等の情報を集めたニュースサイトを作ろうと思っている。趣味でダムなどを回っている人に対して役に立つ情報を提供できたらいいなと思う。

しかし、作ると言うことが決まっているだけで、後は何も決まっていない。あ、Wikiでやろうかとは漠然と考えている。管理者だけではなくて誰でも内容を編集できるというプログラムのことで、ねらいは他力本願だ。

ちなみに他力本願とは、単に他人の力を借りると言うことでは無くて、自分の力だけでは悟りを開くことができないということを悟ることにより、仏の力によって悟りを開かせていただくというのが本来の意味だそうだ。そんな意味を込めて懲りずに始めたいと思う。

2003年8月11

九州旅行の模様は今まとめてる、ふり。

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 前の会社に未練は全くないが、近くの立ち食い蕎麦の店については未練たらたらだ。

 このコーナーでずっと前にも触れたことのあるお昼にいつも行っていた蕎麦屋の事なのだが、ハッキリ言って食べたくて食べたくて仕方がない。

 盛り蕎麦360円・かき揚げ蕎麦410円という、まあ普通の価格設定にもかかわらず、蕎麦の香りがしっかりと、濃いめのしるにはだしの風味ハッキリという、ここよりまずくて高い蕎麦はいくらでもあるだろう、高品質・価格破壊な蕎麦屋なのである。ただ、その値段が災いして、今までいけそうな機会にことごとくいけなかった。

 何故かと言えば、最寄りのターミナル駅からちょっと離れていて、歩いて行くにはちょっと遠い・電車でいくのは乗り換えが面倒でなおかつちょっと歩く・タクシーで行くのは大げさだ…、という地理的な理由が大きいだろう。もしこれがお札を2・3枚用意する必要があるところだったら、全くあきらめるか意地でも行くかの2者択一になるのだが、なにぶんたどり着いた先にあるのは、価格だけは駅の構内にある物と同じ物(いや、別物なのだが)。結局煮え切らないままいつもあきらめている。

 ただ、ここまで恋いこがれてしまって、もし口にする機会が合ったときに期待はずれだったりしたらどうなってしまうんだろうという恐れも一方である。蕎麦一つに振り回されまくり。

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 ちなみに、実際食べてみようと思われる方は、かつて国内トップシェアだったビール会社の本社を目指してください。はす向かいにあります。通ってたのはちがう店ですけど。

 

2003年7月28

荒船湖サマーフェスティバルの開かれた、群馬県下仁田町の道平川ダムに行ってきました。レポートは速報ダム日和で。

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 本当は、リアルタイム更新を予定していたのだが、現地はアンテナのばそうが何をしようが圏外表示のされる山の中だったので(でも携帯を使ってる人見かけたので、他のキャリアだったらできたのかも。)帰りのサービスエリアで一括送信となってしまった。ハッキリ言って朝の段階でこんな事、まったく予想していなかったから、現地で気づいたとき、只々唖然としてしまった。

「こんな事、すぐ気づけ。」と、朝の自分に言いたい。

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 いろいろあって、そろそろ社会復帰するので、その前にどっかに出かけようと計画している。ちなみに、いままでは社会復帰するための準備をしていて、こっちの作業ができなかったと言い訳。

 割と遠くを予定しているが、スケジュールが一向に決まらない。いや、来週中に出発することだけは決定事項なので、今日明日中には決めないといけないのだが、気がつくと某掲示板専用ブラウザが立上がっていて・・・という悪い習慣。なお、その模様は速報ダム日和でお送りできると思います。ただし、携帯を忘れずに家を出て、電波がちゃんと届いたらですが。

 ちなみに今度の仕事も土木と全く関係ない仕事だったりします。ちょっと関係有るところ受けたら書類で落ちました。あらら。

2003年7月27

ちょっと前に携帯をカメラ付きに機種変更した。

なので、これは活用しなければと思い、日記サービスを利用してみた。ここである。始めはヤプースを利用しようと思ってアカウントまで作ったのだが、いきなりサーバが落ちてるので切り替えたのだった。こっちは軽くていい。

タイトルも、「速報ダム日和」。これまでこのコーナーは手作業で更新してたので、それに比べると天と地ほどのお手軽さ。まあ、単に今までが無駄に労力をかけてただけとも言える。

そんなわけで、とりあえず更新しやすい環境が整ったが、最後に残る重大な課題が一つ。私がいつも携帯を家に置いて来てしまうということだ。

2003年7月25

すっかり夏です。

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 前回の更新がこのコーナーで、しかも白装束について書いていた。もうすっかり昔の出来事のようであるが、ほんの2ヶ月まえの出来事である。

 これだけ間隔があくと、もうすっかり感覚がおかしくなってる。話になりそうなことが有ってもそれをここに書こうという意識がどうも働かないのだ。こりゃ、まずい。

 ともかく、新しく更新しましたので見てください。ちょっとだらだら書いていていつにもまして読みにくいかもしれませんが・・・。

2003年4月28

他のコンテンツ作ってからリニューアルしようとしてたら、なにもできずに4月ももう終わり。生きてますよー。

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 「タマちゃんを想う会」のバックにカルト団体が存在したニュースが報じられている。スカラー波というものの害を説いているそうで、その波は送電線とかからも発生する物らしい。

 そんな団体がちょっと前までキャンプしていたのは九頭竜湖のほとりだたそうだ。だが、九頭竜湖はロックフィルダムの九頭竜ダムによる人造湖で、ダムの直下に発変電設備が地上に建ててある。これらの影響はなかったのだろうか。いや、それを打ち消すための白い布なのか。謎は深まる。

 その後団体は道をさかのぼり岐阜県の郡上八幡あたりでキャンプしているそうだ。北上すれば荘川、御母衣ダムが危ない、かもしれない。

2003年3月11

群馬は星がとってもきれいだと思います。

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新幹線運転士のいねむり事故で、普通のニュースなどでも睡眠時無呼吸症候群が盛んに取り上げられていた。この部分だけ見ていると、まるで特命リサーチ200Xみたいだ。

この先、ひょっとしたら、あの番組で取り上げられそうなことが次々と現実になったりはしないだろうか。超能力や心霊現象、ついには宇宙人まで実在が証明され現実的な問題として取り上げられるのだ。世の中がどんどんファンタジーになっていく。

宇宙人が攻めてきたらイラクや北朝鮮どころじゃ無いだろう。世界平和のためにも是非。

2003年3月2

どうも、お久しぶりです。写真を撮らなかったので文字だけで。

海の見えるまちへの落とし前・その2 〜スーパーで売ってる牛ヒレステーキフォアグラ添えを食べてみる〜

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●はじめに
 去年の秋に開店した近所のスーパーというのが高級マンションの建ち並ぶ地区(うちのアパートは違う)にあるせいか、全体的に高めの価格設定だったりするので、利用するたびに、「ブルジョアか…」というよく分からない気分になりつつ利用していた(24時間営業なので便利なことは便利なのだけど)。そんなこのスーパーを象徴するように見えたのが精肉コーナーで売っている「牛ヒレステーキフォアグラ添え」なのである。

●さっそく調理
パックには、握りこぶし位の大きさで厚さが1cm位の牛ヒレ肉とそれより一回り小さいフォアグラ、あと調理に使うバターと調味料とソースが入っている。これで680円。量的には一人分だと思う。売り場においてある作り方の紙によると、まず牛ヒレ肉を焼いて、次にフォアグラに火を通牛ヒレ肉の上に乗せ、最後に肉汁で炒めたソースをかけるという寸法である。驚いたのはフォアグラを火に通すと溶けるということだ。全体がどろどろになるというのではないが、気持ち角が取れて小さくなる。始める前は「フォアグラって言っても所詮はレバーでしょ」とたかをくくっていたが、こりゃ別物だと世界三大珍味の底力に蹴落とされる。

●出来たら食べよう
別に用意しておいた、付け合わせの野菜を盛り合わせ早速試食。…完璧に脂だ。しかも私でも分かるくらいこの上なく上品な脂。レバーの陰なんか全然無い。さすが世界三大珍味。負けました。何にかはよくわからんけど、ともかく負け。おいしかったです。

●まとめ
マグロはトロ、ステーキは霜降り、それにも飽きたらずステーキにバターをのせてみたり、何でもマヨネーズつけてみたりと基本的に人は脂分が好きなのだと思う。えさを無理矢理ガチョウに食わすという裏技みたいなことをしてまで脂を追い求める姿勢を見てもこれは明らかだ。逆にそういう物が世界三大珍味に含まれているのは人間の根元的な部分を肯定しているようで、なんだかサッパリしていていいなと思った。

2003年2月11

海の見えるまちへの落とし前・その1 〜東京ディズニーリゾートの周りををぐるっと一回り〜

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前々から「ディズニーリゾートの周囲をぶらぶら歩いてみたい」と思ってはいたが、何となくめんどくさかったのでやらずにいた。ただ、もう後がないので土曜日に自転車で1周してきた。海沿いの気持ちいい道をサイクリングと当て込んでいたが、2メートルくらいはあるであろうコンクリートの堤防にすっぽり囲まれていてなんにも見えなかった。そんなわけでとってきた写真をいくつか。(クリックすると拡大します)

左に見えるのはディズニーシーのアトラクション。右に見えるのは妙にファンシーなガスタンク。
コロンビア号です。こっちは大丈夫です。

次回、その2をお楽しみに。たぶんあります。

 

2003年2月8

お久しぶりです、明けましたー。生きてますよ。

ここ数ヶ月、死ぬほど暇がなかったため更新できませんでした。
これからは死ぬほど暇なため、更新できるかなー。

そんなわけで、 今すんでいる所も1ヶ月ほどでお別れです。4年近く住んでみてなんだかんだ気になっていることがあるので、今のうちに調べてこようと思います。また、そんなページばっかり増えるかもしれません。

 

2002年12月19

中島みゆきが紅白で厳冬の黒部ダムをバックに「地上の星」を歌うそうだ。

局内にマニアがいるんじゃないか、という感想は恐らく間違っているので置いて置くとして、どんな演出でダムを魅せるか、はっきりいって物凄く楽しみだ。これをきっかけに、ダムに目覚めてしまった人が出てくるに違いない。

もう、どうせなら恒例にしてしまってはどうだろうか。小林幸子と美川憲一の衣装対決みたいに。紅白出場経験のあるラルク・アン・シエルのKen氏と、TOKIOのメンバーの長瀬氏がダム好きという話なので、下地はできている。あとは、対する紅組にどういう物が好きな人たちを持ってくるかだ。やっぱ橋か。

2002年11月24

 会社で仮眠をとったらうなされた。そんな日曜日。

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 いまさらだけど2週前の日曜日、国土交通省静岡河川工事事務所主催の安部川砂防ウォークに参加した。

 大谷崩関係のページを調べている最中にたまたま見つけて軽い気持ちで応募したのだが、今回は例年とはうって変わって募集定員の4倍近い応募があったそうだ。そんな中での当選、なにかを無駄遣いしているようにも思える。また、当日は前日までの荒天とうって変わって雲ひとつ無いいい天気。これもまた無駄遣い。

 さて、こういったイベントに参加するのは立山カルデラ・高瀬ダムに続いて3回目なのだが、いつも思うのはこの手のイベントの参加者の高めな年齢層である。立山カルデラは明らかに他の参加者と3〜40くらい違うように見えたし、高瀬ダムの時はGW中ということも有ってか、家族づれが中心。そして今回もやっぱり高め。嬉しいけど。

 ひょっとしたら、「サライ」あたりでプッシュしたら爆発的に流行るんじゃないか。「特集・ダムと崩壊地を行く」とか銘打って、ダムや崩壊地の紹介にちょっとした薀蓄、ついでに付近の温泉宿やその土地の珍味に蕎麦(手打ち)を組み合わせればもう完璧だ。デアゴスティーニあたりから「週刊 日本のダム」が刊行されるようになればもう本物。

2002年11月8

 書きます。きっと。

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 人身事故のせいで、京葉線のダイヤが乱れていて、始発の東京駅に止まっている電車が一向に発車しなかった。帰りたいのに帰れない。

 話を聞くと、青信号にはなっているが、車掌のやりくりがつかないため出発できないそうだ。隣の車掌と今いる電車の次に入ってくる電車の車掌はホームにいるのに、変わりにやろうとしても運行指令が突っぱねるのだという。

 やがて一向に動かない電車に怒り出す人が出てくる中、隣の電車の車掌が運転席の電話をかけてなにやら大きな声で話し出した。そして話し終わると駆け足でこちらの電車に乗り込んで荷物をおき発車ベルを鳴らした。どうやら強引に話をつけて発車させるらしい。

 音楽が鳴り止み電車がようやく動き出した。まもなく車掌のアナウンスが流れる。

 「〜本日は人身事故のために電車が遅れまして担当車掌がいないため、変わりに私が担当させていただきます。」

 興奮しているのは分かるが、お前は誰だ、とあえて言っておきたい。

 

2002年10月16

 書けてません。

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 「挑戦」という単語を英訳すると“challenge”になる。カタカナで書けばチャレンジ。

でも日本語の文章で挑戦をチャレンジに置き換えると何かおかしくなる。「テロは文明社会と人類へのチャレンジだ。」とか。なんか、成功したら1000万円くらいもらえそうな雰囲気。

実はこんな文章をアメリカ同時多発テロ事件のときに、経団連か何かが出した文章の中で見つけて、へなへなとなった記憶があって書いている。あえてカタカナで書いたのはなぜなのか聞いてみたいのだが、取り合ってくれる先が良く分からないのでそのまんま。 

2002年10月3

 自分で自分の首をしめてます。スケジュールになじられる毎日。

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 栄養ドリンクのリゲインの効能には「肉体疲労」や「食欲不振」に混じって、「産前産後の栄養補給」と謳われている。

 産婦人科へと急ぐタクシー。車内には、すでに陣痛が始まって痛みに顔をゆがめうつむく妊婦と「がんばれ」と励ます夫。やがてタクシーは病院に到着。夫に肩を担がれやっとの思いで分娩室にたどり着く。

 分娩台を前にする妊婦、思い出したようにポケットに手を入れて中からリゲインを取り出し、ふたを取って一気に飲み干す。

 SE「リゲインのテーマ」(ビジネスマーン ビジネスマーン)

 今までの苦痛の表情からきりっとした真剣な表情に変わり、確かな足取りで分娩台に歩き出す。

 ナレーション「攻めの一本 リゲイン」

 分娩室の外の廊下、「はぁっ」という掛け声に続いて赤ちゃんの鳴き声が聞こえる。

そんなことをぼーっと思う、オフィスの昼休み。

2002年9月23日

 Webやぎの目の林さんと同じ電車に乗ってたってことか。

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 長野県の白馬(正確には小谷村)に行ってきた。これまた、幸田文の「崩れ」で取り上げられた稗田山の崩壊地を見るためだ。

 日帰りでフルに時間を使いたかったため、夜行列車の「急行アルプス」を利用して信濃大町まで行き、そこから普通電車に乗り換えて白馬で下車した。ただ、この方法で行くと早く着きすぎてレンタカーのお店が開くまでの数時間、寒い駅のホームで過ごさなければならなくなるのが難点といえば難点である。

 さて、この急行アルプスだが、一応リクライニングシートを使っていてある程度横に倒せるものの、新宿を出てから終点の信濃大町につくまで車内のライトがつきっぱなしなのがいいかげん嫌になる。体が斜めという体勢に加えてこのまぶしさ、結果として眠りが浅くなり、事あるごとに起きてしまい、着いたときにはへとへとになっていた。以前、立山黒部アルペンルートに行ったときに使った「急行北陸」はちゃんと消灯時間があってアナウンスも中止されてたのに。

 終点に到着し、寝不足気味のふらふらした足元で電車を降りて乗り換えの階段まで歩いていく途中、ふと1つの車両だけ妙に暗いことに気づいた。どうやら、グリーン車は照明を落とすらしい。現代のヒエラルギー。ていうか、何で他の席は消さないんだろ。差額分,故意に価値を落としてるわけか?

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 というわけで、ネタがまたたまってきました。今度は撮ってきた写真を腐らせないためにここで更新スケジュールを立てます。立てっぱなしの可能性は有ります。とりあえず以下のとおり。

〜9月29日 足尾砂防ダム(今月の頭に行ってきた。)
〜10月6日 奥鬼怒のダム(去年行ってきた)
〜10月13日 稗田山崩壊地(今日行ってきた)
なるべく早く リンクの整理

 あと、ダムと砂防を分けることにしました。とりあえずアイコンは作った。

2002年8月27

 うわ、間があいちゃいましたね。

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 うわ、間があいちゃいましたね。

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 ネタ半分とは言いつつも小学生向けページを作ったので、一応確認の意味で子供用サーチエンジンの「キッズgoo」で検索してみた。ここの検索結果は自動的にページに振り仮名とか振ってくれるのでちょっと面白いのだ。

 すると、以前は問題なく表示できたのに、今回検索してみたら閲覧不可になっていた。何でだ。

 なんか釈然としないのでこのサイトからリンクさせていただいているダムの個人サイトについて調べてみた。勝手にこんなことしてすいません。

ダムサイト
大黒屋EMCインターネット広報室
棒ふりの休憩室
水がめ便り
ねこのゆいごん
ダムズワールド

 どうやら、ダム以外のことを書いているサイトだとチェックに引っかかりやすいらしい。でもやりすぎだと思う。この頑なに健全な状況を作り出そうとしているのはgoo.co.jpとの確執となにか関係が有るんじゃないか、なんてちょっと嫌味を言ってみる。出してよぅー。

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 と書いてアップしたらちゃんと出るようになってる。ってことは前回の内容に問題があったって事か。よくわからん。

2002年8月6日

日曜日は寝坊したので結局どこにも出かけませんでした。おしまい。

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 会社帰り、アイスコーヒーでも飲んでいこうと駅前のマックに寄った。

 前に並んでいた小学生高学年くらいの男の子が順番になり、おそらく高校生のバイト女性店員に注文をはじめた。「チーズバーガー一つとコーラ一つと、あと、スマイル一つ。」最後の言葉を言い終わると同時に横を振り向きガッツポーズ。すると向こうにも、きっとこの子友達であろう3人ほどの男の子が、ニコニコしながらこっちを見つめていた。夏休みだ。

 ものすごくベタな話だが、実際目の当たりにするとなんだかいいもんだ。いや、「夏の夜」「小学生の男の子」「女子高生のバイト店員」といったファクターがそろったからこそかもしれない。おそらく真夏の昼下がりに同年代のスーツきた男性が同じ事をしたら、どうにかしたくなると思う。物事にはやって良いことと悪いことがあるのだ。

 ところで、ハンバーガーを注文するときに「ピクルス多め」というのはできるのだろうか。私としてはスマイルよりそちらの方が気になる。 

2002年7月21

 大沢崩れの後編はこれから書き上げます。残りの2つはどうすんだろ。

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 映画館やDVDなどの音響システムで良く聞く「ドルビーサラウンド」というのはアメリカの「ドルビー研究所」というところで開発されたものだという。

 きっと、煉瓦造りの古ぼけたビルの小さな一室で、職人気質の「ドルビーおじさん」が、「馬鹿やろう!こんな所にコンデンサー引っ付けたら音が死んじまうんだよ!」とか、「こんなもんサラウンドなんて呼べるか!お前、どこに耳ついてんだ!」なんて、弟子に声を張り上げているところを想像していたのだが、実際は違うらしい。

まあ、そもそも弟子とか言っている時点でおかしいのだが、これで映画を見るときの楽しみが一つ減ってしまった。そんな楽しみもどうかと思うが。

2002年7月14

 最近張られているJR東日本の非常停止ボタンのポスターが怖い。目線が上向きだし、よくみると髪がぼさぼさだし。

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 通勤途中にふと見かけた広告ポスターに、思わず泣きそうになってしまうことがある。

 「青春18きっぷ」なんか毎回ポスターの前で足を止めてじっと眺めてしまうし、最近だとプレステ2のゲームソフト「ぼくのなつやすみ」の車内ドアに張ってある広告だ。青空をバックに井上陽水の「少年時代」の冒頭の部分が手書き風の文字で書いてあるというもので、目にした次の瞬間にはあの甲高い独特の歌声が頭の中を通り抜け、満員電車の中で一人遠い目である。

 しかし、歌詞を眺めているうちに、あることに気づいた。少年時代の歌詞の意味が理解できないのである。「風あざみ」ってなんだ?「思い出のあとさき」ってどういう意味だ?一体どういう情景をうたっているんだ?

 朝から意図せずに国語力のなさを知らされて、もはや涙目である。窓の外には東京湾。

2002年7月10

 「ここで音楽です。メゾフォルテの演奏で八方塞がり」

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 意識しているせいかもしれないが、ネット上でNHK教育の幼児向け番組である、「ピタゴラスイッチ」についての記述をよく目にするようになった。

 ピタゴラスイッチについて知らない方はこちらで放送時間をご確認の上、ぜひ直接ご覧になっていただきたいのだが、総合監修が「だんご3兄弟」の佐藤雅彦さんというだけでも、ただものでなさが判っていただけるであろうか。しかも、音楽が栗コーダーカルテットだったり、たまの知久さんが出ていたりと、私的にオールスターキャストである。肝心の内容も、よくある子供向けのなれなれしさがなく、そのうえでちゃんと子供の方を向いている、隙のない良く練れた仕上がりになっている。はっきりいって、ここ数年の数ある幼児向け番組ののなかの一つのピークと言っても良いだろう。

 幼児向け番組といえば、10年位前にあった「ウゴウゴルーガ」もその後の影響という点で言えば特筆すべき番組だろう。当時画期的だったCGを用いたヴィジュアル面は勿論、番組内で多用された、ステレオタイプな子供っぽさに所々子供が理解できないような要素をちりばめていく手法というのは、現在「ミニモニ。」でそのまま用いられていることである。言い換えれば、10年の時間を経て幼児向け番組という特殊な世界から一般向けに咀嚼することが出来たということだろうか。

 てことは、10年後には妙に落ち着いた小学生がネオアコとかギターポップスとかやっているのか。いや、番組内の音楽をやっている栗コーダカルテットみたいにピアニカやリコーダーを演奏しているとか。あ、それは普通だ。

2002年7月8日

リハビリがてらまじめなことを書いてみたりして。

 こんなサイトをやっているが、私は長野県の「脱ダム宣言」を支持していたりする。

 自然環境はもとより用地確保の問題やらなんだかんだで、これから新設のダムを作る困難さというのは増える一方であり、現実問題として今後ダムを抜きにした治水・利水事業を迫られることというのは素人目に見ても予想できることだと思う。

 そんな中で登場した脱ダム宣言なわけだが、議会で受け入れられない理由として議会自体の問題もさることながら、推進側や一般の人のダムに対する認識にも問題があるのではないだろうか。

 戦後から今現在にいたるまで行われてきた治水対策というのは、ここ数十年の間に何百人もの犠牲者が発生するような大きな洪水被害が出ていないというところから見ても、一定の効果があったといっていいのだろう。そんな中で、「脱ダム宣言」というのはこの治水対策の大きな柱であったダムという道具を使わずに行こうということなのだから、その実現には多くの技術的な課題や検討事項があるだろうし、1年2年で結果の出ることではなく、今後何十年といった長い時間をかけて取り組まなければいけないことは明白なことだ。

 そういった部分が普通の人々の認識として欠けていて、ただ、「ダムなんて自然破壊の無用の長物」という理解が、(少なくともダムの効果を理解しているであろう)議会側の「具体策に欠けている」という主張に反論できない現状を生み出していると思えてならない。

 行政の姿勢の転換を求めている「脱ダム宣言」は、同じようにダムに反対する立場にいた人たちや普通の人々にも意識の転換を求めているといえるだろう。治水や利水の意味をよく理解した上で行われなければ、結局同じような道をたどりかねないと思う。

2002年6月29日

どうも、生きてます。

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気が付いたら、1ヶ月以上ぼーっとすごしておりました。

舞台に立っていたのがやっぱり元同僚だったりとか、富士山でカモシカにあったりとかいろいろ書きたいことはあったのですが、考えがまとまらずほったらかしになってました。やっぱり、こういうものは惰性がなくなるとだめなんですね。

そんなこんなで、このサイトを開設してから1年。うだうだとやってきましたが、これからもやっぱり相変わらずだと思います。とりあえず、いくつまとめようとしていることはあるにはあるのですが、原因が私に起因するいろいろな事情によりどうなるか判りません。まあ、当てにしないでお待ちください。

2002年5月22

 前回の話のながれで、土曜日に国会図書館に初めて行った。

「あらゆる本がそろっている」とか「書庫には直接入れない」とか「本を手にするまでに30分くらいかかる」とかなんだか高尚で物々しい場所を想像していたのだが、実際に行ってみると、なんかものすごく普通だ。近くに国会議事堂とか最高裁判所とかあるのに、建物の中に入ると茶髪にセルフレームの細長い眼鏡をかけた女性が受付をしている和やかさ。

 端末で検索して目当ての書籍を受け取って、閲覧室に入ると寝ている人が結構いる。なんだここ。

 でも、年配の男性が昔の少年漫画雑誌を懐かしそうに目を細めて読んでいるのを見て、ちょっといいなと思った。

2002年5月4

 ニュース!立山カルデラがちょっと身近に。 ちなみに、行きに夜行列車利用ならば都内から日帰りの強行軍で参加できたと思います。私は遠慮しときます。

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 相変わらず歯抜けコンテンツがもはや他人事のこのサイトだが、ちょっとした特集ページを思いつき、年末に帰省したときに実家から郷土史を持ち帰ってひまなときに読んでいる。

 こういったものを読んでいると、毎日目にして気にもとめなくなっているような場所に、意外な歴史や事象がかくれていて面白い。「たんけんぼくのまち」のチョーさんみたいなことでもしてみたくなる。

 その中で一番驚いたことが、いつも見慣れた山が実は修験場だったということである。何でも木曽・御岳に並ぶような行場だそうで、関東各地に講が作られていて参加人数は一千人にのぼり、5月5日の山開きや10月15日の山じまいには山頂で護摩を焚くそうだ。

 ということは、私が日常生活を行っていた頭の上で一心不乱にほら貝を吹いていた人がいたということになる。小学校の校庭にアサガオの種まきをしているところで「ぶふぉー」。業者テストを受けているときや進路相談の面談中にも「ぶふぉー」。修験者と私はまったく関係ないが、こうしてみるとあまりに関係なさ過ぎてかえって気になる。

 なんだか日常生活に行き詰まりを感じている今、私はこの山に登るべきなのかもしれない。そして、ほら貝を吹いて他者との無関係な関係を継承していかなければいけないのかもしれない。と、自分で言ってて意味がわからない。

2002年4月20

 今度見に行くお芝居の劇団のホームページを見ていたら、劇団員が日替わりで担当する制作日記に昨年の秋頃に会社を辞めた人と同姓同名の人が書いているのを見つけた。

 まあ、同姓同名というだけで同一人物と判断するのは確かに早計といえるかもしれない。しかし、日記を読んでいくと同一人物ではと推測できるキーワードがいくつか含まれていて、やっぱり彼だよな…、でもなぜ?という気分の中にいる。

 そんなに親しいというわけでもなかったので、会社を辞めてから連絡する機会もなかったし、そもそも連絡しようにも電話番号もメアドもわからない。だから、今何をやっているのか全然知らなかったのだが、こんな形でまた出会うとは思っても見ないことである。

 そんなわけで、意味もなくどきどきしながら公演の日を待っているのだが、舞台の上で彼を認識したところで気まずい気分になるだけだろうなと、その時を待つまでもなく思う。

2002年4月12

 あらま、1ヶ月以上ほったらかし。

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 仕事がものすごいことになって、昨年末から休みはおろか帰れない日も珍しくないという忙しさの中にいた。そんなわけなので以下のことが出来ていない。

・部屋の片付け
・古新聞の整理、処分
・このサイトの作成・更新

 つぎに今後やりたいことを整理してみる。

・髪を切る
・未読書の読破
・春の情報処理試験の勉強

 ここぞとばかりに私の中にある懸案事項を仕事のせいにしてはみたが、そういうものではないと書き出す前から感じていた。あー、どっか行きたい。

2002年3月5

 玄関を開けたら、部屋中にラベンダーの香りが漂っていた。

 昨日、ドラッグストアで気まぐれに買った、温泉の名前のついていない一袋150円もする入浴剤の香りだ。お湯は抜いたはずなのに、まだ匂うとは。どうせなら、匂いを嗅いだついでに気を失って、気が付くとタイムトラベラーにでもなっていてほしいところだが、別に体に変調をきたすこともなく、すっかりにおいに慣れきってしまった部屋でぼーっとしている。

 気を失うといえば、私は献血の気絶率が結構高い。献血手帳がどっかに行ってしまったので正確な回数は判らないが、今まで6〜7回しているうちで3回ほど献血後に気を失っている。

 針を抜かれてからなんだか体に違和感を覚えて、それでもお菓子を食べたりしていると急に耳が遠くなって視界が白くなり、気が付くと足を高くして寝かされているのだ。この急激に意識がなくなり、またストンと意識を取り戻すという、睡眠とは一味も二味も違ったなんともいえない非日常な感覚がちょっと面白かったのだが、これをきっかけに何かの能力に目覚めたわけでもなく、今に至る。

 どちらにしても、リリカルなものとは程遠い。というか、気絶にリリカルさを求めるのは間違っていると思う。

2002年3月1

 一難去って、また一難。しかも大きめ。まずいかも。

携帯のカメラ、PashaPaでとりました。それだけ。

 読売新聞の人が契約をとりにやってきた。面倒くさいのでいつも1年単位で契約してしまうのだが、そのときに記念品は洗剤と「モーニング娘」の壁掛け時計の2つがあるがどちらがいいかと聞かれた。なぜモーニング娘。と思ったが、話を聞くと読売新聞のキャンペーンキャラクターなのだそうで、この時計もキャンペーン用の限定品なのだそうだ。

 1ルームの部屋にはすでに時計があるし、そもそも、「モーニング娘」の誰が誰だかわからないという私とってどちらかといえば洗剤のほうが価値があるようにも感じたが、限定品という言葉に「まあ、Yahooオークションに出せばちょっとしたお小遣いになるかも」という浅はかな考えで時計を選んだ。

 しかし、実際にYahooオークションを検索してみると、時計が大量に出品されていて出品する気が起きないほどだぶついていた。限定品が見せてくれたささやかな夢は打ち砕かれて、ただただ後に残った直径30センチ強の妙にでかい壁時計を持て余し気味の早春である。

 ちなみに今回の読売新聞の懸賞も「モーニング娘」だそうで、今日の折込に応募はがきつきのチラシが入っていた。1等のメンバーが出演するミュージカルのチケットや、4等のメンバーの写真をあしらった図書カードは理解できる。しかし、2等のウォームアップスーツや3等のディバックは、そこらへんに売っている普通の商品に小さく「モーニング娘。」と入っているだけだ。意味がわからない。しかも、その意味のわからなさを狙っているようにも見えてなんかイヤである。

2002年2月21

 生きてます。何とか。

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 生ハムメロンにケチをつけられるほどこれまで食べたわけではないし、そもそも食べられる機会があったわけではない。だがあえてこの場を借りて訴えてみたい。

 「生ハムメロン」がアリなら「たくあんリンゴ」だってアリだ。

 しょっぱいものとあまい果物という組み合わせは同じだし、沢庵と生ハムは動物と植物という違いこそあれ、どちらも保存食である。比べれば比べるほど、共通点しか見えてこない。なのに、このたくあんリンゴの受け入れられなさは何なんだ。人に話すとことごとくいやな顔をされる。

 ちなみに作り方は、普通にきったリンゴの上に普通に切ったたくあんを乗せるだけです。両方をみじん切りにしてあえてもいけます。久々の更新がこんなですいません。どうか懲りずに、長い目で。

2002年1月30日

 うわ、月2本。

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 このサイトをはじめてから、以前から来ていたアダルトサイトに加えて、バナー広告やネットビジネスといったSPAMメールが届くようになった。開設して間もないときに面白がっていろんなサーチエンジンに登録したことがあったのだが、ひょっとしてそのせいだろうか。ずいぶんつまんないものを寄せ集めてしまっている。

 そんな中、こんなメールが届いた。

こんにちわ。突然のメール失礼いたします。
当方、オリジナル画像サイト「○○○(サイト名)」の管理者でございます。
今回新しく「○○○(サイト名)」を立ち上げさせていただきまして貴殿サイトを拝見させていただき是非当サイトと相互リンク頂けないかと思いまして
突然で大変失礼かとは思いましたがメールをお送りさせていただきました。

 オリジナルな画像のサイトって何なんだ。路上観察系のサイトだろか、などと思いつつリンク先をクリックしてみると、案の定会員制アダルトサイト。なんだ、やっぱり。

 しかし、この文面だけを見ると、ちょっと誠実な感じを受けなくないわけでもない。ひょっとしたらマイナージャンルのこのサイトに、単純に興味を持って頂いた結果の行動だったともとれなくもない。もしそうであったら好意を無下にしてしまったことになる。

 だとしても、普通にリンクしてしまっては、このサイトに訪れる他の方が不愉快な思いをするかもしれない。また、2つのサイトをリンクしてみたところで、インピーダンスのミスマッチは火を見るより明らかだ。すくなくとも、テキストから画像重視に、また、アンダーグラウンドな感じへと歩み寄った別館的なところが必要だろう。

・勝手にダムのキャットウォークを渡りだしたものの、真中あたりで怖くなり身動きできなくなっているところ。
・たまたま開いていたゲートの機械室にはいって、そこらへんにあったボタンを何気なく押したら突然放水が始まり、呆然としているところ。
・崩壊地を訪ねて一人山へ入るものの、途中で道に迷い捜索隊に救助されるニュース映像。

 ビジュアル志向なのはともかく、もぐっていく方向が違っている。ともかく、このような状態なので、まことに申し訳ございませんが、ご期待には添えないことをこの場を借りてお伝えします。

2002年1月17日

 やさぐれてました。

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 社内がごたごたしていて、現在進行形で忙しい。12月なんか、28日まで休み無しで働き詰めだった。年齢とともにクリスマスや年末年始の特別さが薄らいでいくのを感じていたが、こんなに年末年始が日常に感じたことは無かった。今が1月なんてうそみたいだ。そんなことをしみじみ思い返しているとなにか胸に込み上げてくるものがある。

 年末年始はこんな感じだったが、その1月前の11月にさかのぼると、今とはうって変わって毎日定時で帰れる夢のような日々だった。当時も忙しくなるというアナウンスがあったにはあったのだが、どうにかなるだろうと強気で週末に予定を入れたり、お芝居の前売りチケットを買ったりしていたら、結果としてそれらがまんま生きた形になった。 しかし、12月はちょっと弱気になり前売り券も買わないで、「行けたら当日券でいいや」という気持ちでいたら、しゃれにならない日々を過ごす始末。

 これをポジティブシンキングと呼ぶにはあまりにも極端すぎる。はっきり言ってドラえもんの秘密道具並だ。口の中にセットすると言ったことがすべて現実になるという道具を調子に乗って使ってたら、虫歯に詰まって取れなり、泣く泣く歯医者に連れてがれると言う話である。そういえば、忙しくなってから通っていた歯医者に行っていない。なんだか知らないけど年賀状が来てたっけ。

 ああ、そうか、歯医者に行けばいいんだ。

2002年1月13日

 あけましておめでとうございます。というのもどうかと思うこの時期。

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 帰宅して鼻をかんだらティッシュが真っ赤、鼻血がでてる。そういえば昼間ピーナッツを食べたっけ、と静かに納得したのが3日前の出来事。

 昼休みに「充実野菜」といっしょに袋入りバタピーを買い、一人で半日かけて空ける。食べ終わって袋を見ると摂取カロリーが1000Kcalオーバーを示してる。これって何食分だ?とうろたえるも、しっかり夕食は食べる。ただ、そんなに食べたのに鼻血が出なかった、というのが2日前の出来事。

 あ、リンク2件追加しました。連絡いただいてから時間かかってすいません。

2001年12月28日

 遅ればせながら、2000アクセスどうもありがとうございます。

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 以前ここで「行けそうも無い」と書いていた25日の「たま」のライブだが、3連休が仕事でつぶれてしかも最終日は徹夜という抑圧された反動から、半ば意地でお台場の「トリビュート・トゥ・ザ・ラブジェネレーション」という長い名前のライブハウスまで出向いた。

 やっと仕事を抜け出せたという開放感と、ライブへの期待感から、JRの改札からゆりかもめの駅までの道のりの足取りも軽い。これで私も「愛の世代」だ。なんだか判らないけどきっとそうだ。

 ところが、駅で停車しているゆりかもめに乗り込むと、JR新橋駅前とはうって変わって、すでにいる乗客のほとんどがカップルなのだ。しょうがないので反対側のドアのところで居心地悪そうに外を眺めていると、あとから乗車してきたカップルが、私のいるところに割り込んできていちゃつきはじめた。ぎゃー。

 駅を降りてから会場のある道すがらも、会う人会う人みなカップルだ。疲労しきった頭にはなんだか別の世界に来てしまったような感じさえうけてなんだか頭がくらくらしてくる。逃げるようにして会場までたどり着き、3人の演奏に救われる。やっぱりいい。

 ライブの余韻をのこしたまま建物の外にでると、そこにあるのはただただ現実。寒空の下、会う人はみんなカップルだ。お台場に完全に打ちのめされた感じである。もう愛とかいいません。

2001年12月16日

 年内は年中無休で。

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 夜の11時すぎ、帰宅のためにいつものように京葉線に乗っていると、舞浜駅で制服姿のカップルが乗り込んできた。見たところ高校生のようだが、男子は最近珍しい学ランで制服の下に大分着込んでいるらしくパンパンに張っている。しかも両手は軍手となんだか垢抜けない。一方女子はどうかというと、濃紺のコートを着込んでいてこちらもなんだか地味だ。

 2人は目の前を通り過ぎてゆき、乗り込んだドアの隣のドアの前で立ち止まってなにやらいちゃついていた。といっても、最近目にするような度を過ぎたようなものでなく、軽く相手に触れたりする程度のものだ。格好と相まってなんとも朴訥な感じである。

 しかし、何でこんな時間に制服姿の高校生が舞浜駅から乗り込んでいくのだろうか。学ランの高校生はこの辺じゃ見かけないし、修学旅行にしてはいくらなんでも遅すぎる。ひょっとしたら駆け落ちなのか。地方の名士の一人娘と道ならぬ恋におちての二人旅。なんかいい。

 という光景を、いつもより早く帰宅したものの、玄関先で家の鍵を会社に忘れたのに気づいてまた会社に30分かけて取りに行った帰りに目にした。久々の早い帰宅のはずだったのに。こんなことでも考えなければやってられない。というか、こんなことを思ったところでやっていけるとは思えない。

2001年12月9日

 ゲゲゲの鬼太郎に「ぬりかべ」という妖怪が出てくる。この妖怪、あらゆる技を駆使して戦う「鬼太郎」や、名がすべてをあらわしている「砂かけばばあ」などと比べて、どのように怖いのかいまいち具体性に欠ける。私のおぼろげな記憶をたどってみても、逃げ道に立ちふさがって、敵の逃亡を阻止しているようなシーンしか思いつかない。これじゃ、怖いというよりただの邪魔である。

 11月の始め、奥鬼怒にダムをたずねて出かけたのだが、朝からの雨がだんだんひどくなり、雨具を持っていない私は、途中でいいかげんいやになり予定していたコースを取りやめ戻ることにした。帰路の途中、雨の日の薄暗い山道を車でひた走っていると、突然視界が濃い灰色で覆われた。立ち寄る予定のコンクリートダムが丁度正面に立っていたのだ。そのときは、あまりの突然な出来事に驚きと恐怖すら感じた。ダムを見て恐怖を感じたのはあのときがはじめてだ。

 「ぬりかべ」の本当の怖さというのはこういうことだったのではないのだろうか。突然視界が一色につぶされるというのは、疲労により情報処理能力が落ちている頭を混乱させるには十分すぎる破壊力を持った情報だとおもう。 そう考えていくと、現代において正統な妖怪ぬりかべの子孫はダムからしか生まれないだろう。

 ただ、実際に妖怪としてダムというものを考えたとき、自然破壊を繰り返す悪役としてしか描かれそうにない。なかなか不憫なやつである。怖いのに。

2001年12月1日

 忘年会の2次会でお通しとして鯛のお刺身とお赤飯が出る出勤日。

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 今朝起きて最初に聞いたラジオのニュースで、もし生まれた場合、後の段取りがどうなるのかの説明をしていた。その中で、誕生後に総理大臣が記者団を集めて何らかの声明を発表するということを言っていた。

 それを聞いてふと思ったのが「痛みをこらえてよくがんばった。感動した。」という言葉だ。その時は一人ウケていたのだが、今改めてここに書いてみると本当にどうしようもない。どこかのニュースで気の利いたジョークと思ってアナウンサーが言っていそうだ。

 会社の忘年会上で披露しなくて良かったと本当に思う。

2001年11月24日

 仕事したり、おそば食べたり。

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 最寄駅までの道すがら、首都高湾岸線と並行する国道の上を横切る歩道橋がある。

 会社に行くために9時半ごろそこを通ったら国道にとんでもない量の車がびっしり並んでいた。ディズニーランドに湾岸線の浦安インターから行く場合、途中陸橋を渡って国道を折り返す必要があるのだが、その折り返し地点を越えずっと先まで渋滞がつながっているのだ。さすが3連休。

 「すごー。」と、半ば感心しながら陸橋を歩いていると、携帯ラジオから流れてきた交通情報の中で、ディズニーシーが10時から入場制限を行うと伝えていた。

 はたして、前売り券を購入していない家族はこの渋滞の中で突きつけられた現実をどう受け止めるのだろうか。後部座席でぐずる子供、「しょうがないでしょ、渋滞なんだから」と助手席から苛立つ母。父はハンドルをこぶしで叩き頭をかきむしる…。いわば一種の極限状況がすぐそこにある。空は晴れ渡っているのに。

 ちなみに京葉線はがらがらでした。やっぱ電車でしょ、という気分。

2001年11月23日

 こんな小春日和の穏やかな日をもてあまし気味。

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 アフガニスタンのニュースを聞いていて、なんとなく「タリバン」は「タンバリン」に似ていると思った。これだけならばはどうしようもなく下らない話で終わりである。だが同時に、前にも何かの言葉を聞いて「タンバリン」に似ていると思ったことがあったことを思い出した。

 ところが、何を聞いてそう思ったのか、その単語が思い出せない。「タンバリン」の文字を並べ替えたり、間を抜いたりといろいろしてみてもしっくりくる単語が出てこないのだ。もうこうなると、気になって気になってしょうがない。

 数日間もやもやしながらすごしていたある日、バーミヤンの石仏破壊のニュースのときにタリバンの名前ををみて同じ事を思ったことをふと思い出した。ヤスが実は犯人だった気分。後に残ったのは徒労感だけ。

2001年11月20日

 実は新しいタイトルの背景は、今夏の渇水時の八木沢ダムです。だんだん自分がネガティブキャンペーンを打っているような気がしてきました。

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 「トリビュート・トゥ・ザ・ラブジェネレーション」という長い名前のライブハウスがお台場にある。日本語に直訳すれば「愛の世代への贈り物」。「愛の世代」という言葉が指し示すものとまったくかけ離れた生活をしている私にとって、近寄りがたい場所となるのに十分すぎる名前だ。

 しかし、今年に入ってから私が行きたい公演が2回も行われている。これは、向こうからこんな私を招いているということなのだろうか。もっと言えば私が「愛の世代」だということを、黙って気づかせてくれているのではないか。

 とか言いつつ、一つ目の浪曲師の国本武春のライブは、仕事がのっぴきならない状況になっていたため、結局チケットを無駄にしてしまった。もう一つのたまのライブは平日に加えて年末なので半ばあきらめている。やっぱり「愛の世代」にはなれないのか。

 そもそも冷静になってよく考えて見ると、行く行かない以前に、国本武春とたまというラインナップはそういうものとは違うベクトルにあるものじゃないかという気がしてきた。

2001年11月17日

 はい、ただなんとなくです。

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 「群馬土木かるた」というものがあるそうだ。一般の人たち向けに土木をPRする目的で、群馬県内各地にある土木施設を読み込んだカルタである。カルタといえば「上毛かるた」であり、それを誰もが暗唱できるという群馬県民にとって、郷土の事を広く知らしめようとしたときにカルタにまとめるという発想が出てくるのはわりと自然なことだと思う。

 どの句にも、その土木施設の所在地から特徴まで詳しく読み込んであるのだが、ちょっと詰め込みすぎている感じは否めないと思う。結果として、七五調でないのも相まって、読むにはいいけど実際にカルタの読み札としてはどうだろうという感じを受ける。

 これを眺めているときにふと思い出したのが、群馬県出身の宇宙飛行士の向井さんが宇宙で読んだ句だ。

 「宙返り 何度もできる 無重力」

 ああ、理系の上州人。いや、まあ、私も人の事いえませんが。

2001年11月12日

さくさく更新。

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 通勤用の革靴を買ってきたら手入れ方法を書いた紙が付いてきた。その中にあった文章で、靴墨やクリームを塗ることを表すのに「革に栄養を与える」という書き方をしていた。

 はたして、この栄養というのは比喩なのだろうか。死んじゃった上に皮だけにされ、さらにいろんな薬品を用いた加工工程を経た結果、ここにある革靴が果たして「栄養」をほしがるものなのか。そもそも、靴墨やクリームは一般的な意味の「栄養」なのか。

 「死してなお、生き血を欲する獣たちよ。」

 いや、別にクリームは生き血じゃないし。生きてても生き血はほしがらないし。

2001年11月11日

テレバイダー、なんかいい。

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 今年の夏あたりから京葉線に「ベイドリーム」という週末だけの臨時列車が走っている。東京から舞浜を通り武蔵野線に乗り入れて大宮から終点宇都宮と、いわば栃木県民を夢と魔法の王国へいざなう列車だ。 昨日、たまたまくだり電車の発車時刻のタイミングと合ったので、ためしに乗ってみた。

 電車自体も普通の京葉線と違って、高崎線とかで走っているような緑とオレンジの電車である。座席はロングシートなのだが、いつも乗る電車より奥行きがあって座りごこちが良い。ただ、車内の雰囲気はいつもの京葉線と違って、まさに高崎線や常磐線のような、何かじめっとした雰囲気がそこにあった。

 どこの車両に乗ろうかホームを歩いていると、階段のすぐ近くにあたる車両の窓に電車の時刻表が張ってあるのを見つけた。手書きなのだが丁寧な文字で4色くらいに油性マジックで書かれてある。普通の電車でこんなのが張られているのを見たことがないが、臨時列車だからそんなことも在るのかなというくらいにそのときは思った。

 しかし、電車が発車し停車駅のアナウンスがあると、近くに座っていた普通の男性が張ってある時刻表をはがして、反対側にあたるドアが開く側の窓に張りなおしたのだ。さらに、その次の駅では、次の駅では停車しない事を知らせる別の紙をどこからか取り出して時刻表の隣に貼り付けたのだ。しかもその小さな紙の右上には「本日のお買い得商品」といったような文字が書いてある、どうやらスーパーのPOP用用紙に書いたものらしい。

 つまり、この男性が一人で勝手に電車の案内をしていたのだった。このことを言い換えれば「ボランティアで臨時電車の案内をする男性」という風になるだろうか。べつに、1つ1つの行為は間違っていない。ただ、それが行き過ぎたときに一体どうなるのだろうか、その答えの1つを見たような気がした。

2001年11月07日

 ADSLに切り替えるために、電話回線をアナログ回線に戻した。使用できるようになるまでにはまだ時間がかかるらしく、仕方ないので昔使っていたモデムを引っ張り出してきた。28.8Kなので重い。

 外付けタイプなので電源にACアダプタを使っているのだが、そのプレートを見たらこんな風になっていた。

 ACアダプタにアミーゴ。ラテン系なのか。出来ればおとなしく一定の電圧を出しつづけるように願いたい。

2001年11月04日

 有楽町にできた無印良品とソフマップはいつもの音楽が鳴ってない。

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 以前、作ったプログラムのテストをするために2週間ほど通った信販系の会社は、いつも声を張り上げている上役がいたりして、みるからに厳しそうな会社だった。それで、その会社のトイレに行くと4つつくらいあった個室のうちの必ず1つは使用中で、時には全部使用中みたいなことが何度かあった。

 今通っている商社系の会社は、始業時間間近になってやっと人が集まってくるような、前述の会社とは対極にあるような会社で、そこのトイレは個室にカギがかかっていることがまれな感じである。

 ひょっとしたら、これを会社の精神的なきつさの評価に使えるのではないだろうか。利用時間を計測するのは大変だから、トイレットペーパーの使用量を用いるのはどうだろう。求人情報誌あたりでぜひ検討していただきたい。

2001年10月31日

 中学校の社会科の先生が教えてくれたことの中に「扇状地の見分け方」がある。

 一体どういうことかというと、『地形名を答える問題で、地図に「勝沼町」とかかれていたら答えは扇状地だ』というものである。その上、『最近は見破られないために勝沼町の文字を消している場合があるが、そのときは「千米寺」というお寺で見分けろ』という駄目押しの情報までついていて、当時は「これで扇状地は完璧だ」とひどく感心した記憶がある。

 最近、ふと思い出して、2万5千分の1地形図を見てみると、確かに見事な扇状地である。問題に使用するには本当に都合がよさそうだ。

 しかし、改めて考えてみると、こんなに判りやすそうな形状を理解するだけでよい話に、わざわざ中学生の日常に出てこない他県の町名を持ち出す必要があったのだろうかと思う。結局、あとに残るのは当時の感心した記憶とのせめぎあい。

 ちなみにお寺と教わった「千米寺」は調べた感じでは地名っぽい。扇状地をキーワードに目の当たりされる事実。これは特急かいじにゆられ現地をたずねるべきなのかもしれない。

 キーワードだけを見ればミステリー小説っぽい。

2001年10月20日

実はダムめぐり更新しました。気づきました?

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 蒸し返すようだが、また昼食に行く蕎麦屋の話である。

 今月の初めくらいに店員さんが変わった。話によると前の人がやめてしまったので代わりの人が入ってきたのだという。前の人は40代くらいの恰幅の良い気のよさそうな人だったのだが、今度の人はもっと若くてまだ学生でも通じそうな感じだ。

 そんなわけで、今までつけてくれていたゆで卵のおまけがなくなってしまった。幸いというか、店長さんが気を利かせてくれて新しい店員さんに言ってくれたおかげで何かしらついてくるのだが、大概刻み海苔やワカメだったりして卵と比較すると華やかさにかける。

 まあ、ここの蕎麦がおいしいから毎日通っているのであって、別におまけ目当てなわけじゃないと自分では思っているつもりだった。しかし、木曜の夜見た夢が前の店員さんが戻ってくるというものだったのだ。そんなわけでひょっとしてと思いつつ、蕎麦屋の暖簾をくぐると居たのはやっぱり新しい店員さんでなんだかがっかり。それと同時に沸き起こる、「何をがっかりしているのだろう」という自分に対する脱力感。

 登場人物が変わるとストーリーの意図するところが変わってしまうという話である。

2001年10月14日

 うわ、気が付いたら2週間書いてない。

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 狂牛病の影響で最近食べ物屋の店頭で使用している牛肉がアメリカやオーストラリア産であることを告知する張り紙を見かける。

 しかし、今までどちらかといえば国産ではないというネガティブだったポイントを、こう堂々とポジティブなものとして公表されても、なんか釈然としないものを感じる。そもそも、外国産の牛肉を使っている動機というのがもともとどこから来ていたのかを知らないのに、いきなりそんなことを言われてもという感じである。

 そういえば、和牛の中でも高級品とされている松坂牛は国産のわらと塩だけをえさにして育てているそうだ。いまもあえて国産牛を使いつづけている店にはこんな紙が張ってあるのだろうか。

「当店で使用しております牛肉は国産のわらと塩だけで育てました最高級の国産牛です。」

 これはこれで、何か鼻につくものがあってちょっといやみな印象を受ける。

 ともかく言いたいのは牛肉をもっと素直に楽しみたいということだ。もっとカジュアルな牛肉を切望する。

2001年10月1日

 前回の続きだが、妹の話によると、そのお店の店員さんとメールでやり取りをしているそうである。ノベルティをくれる話もメールで連絡がきたらしい。ますます、私の高校生活には無かった事である。

 対抗意識ではないが、はたして、蕎麦屋さんはメールが打てるのだろうか。いつもおまけしてもらってもあいまいな挨拶で流しがちな私だか、メールなら素直に気持ちを伝えられる気がする。

「今、つゆの仕込が終わったところ。今日のはなんだか知らないが少し苦いぞ(>。<) 」
「かき揚出来たけど、べたべたになっちゃった(^^;」
「あ、麺ゆですぎてる。失敗失敗(〃▽〃)」

 と、書いてみたが、明らかにキャラが違っている。しかも内容は、私が蕎麦屋さんに対して時々感じることだ。なんだか、素直な気持ちとは逆方向に向かっている。

2001年9月25

 どうも、一週間のご無沙汰です。

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 今年の夏群馬に戻ったとき、妹のお付き合いで前橋のCDショップまで出だしたことがあった。何でも、なじみの店員さんがいて、余っているノベルティをもらえるということなのだそうである。ちなみにそのノベルティはYahoo!オークションあたりでは1万円くらいで取引されていることもあったらしい。

 なじみのCDショップ。少なくとも私の高校時代には、なかった言葉である。

 私のこれまでの人生の中で「なじみ」と呼べるのは、お昼にいつも食べに行く会社のそばの立ち食い蕎麦屋くらいだ。いつも卵をおまけしてくれたりするが、並べてみると、なんとなくその差が気になってしまう。

 ちなみに、卵は別売りで50円だ。一ヶ月21日とすれば

50[円] × 21[日] = 1050[円]

 あ、結構おまけしてもらってる。

2001年9月18

 オチがない話ですいません。

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 NHKラジオ第1に「ラジオ深夜便」という、深夜から明け方までノンストップで放送している番組がある。

 裏でやっている民放の深夜番組とは対極にあるようなゆったりとした物静かな番組で、絶妙なゆるさが心地よく、いつも寝るときは枕の傍らにあるAMラジオをつけっぱなしにしている。

 その「ラジオ深夜便」が、このところテロ事件の影響で大幅に番組編成が変わってしまい、大部分のレギュラーコーナーを取りやめ、30分ごとにテロ事件関係のニュースを流したりしている。

 この時間にこういう状態でこういったニュースを聞くと、いっそうやるせない気分になるが、この番組のメインのリスナーである、実際に戦争を経験した人たちというのはどのような気持ちで聞いているのだろうか。そんなことをうとうとした頭で考えていると気がめいってきていけない。

 いつものラジオ深夜便が聞こえる夜が早く戻ってきてほしい、と思う。 

2001年9月10

 「はげ山の一夜」という曲がある。

 タイトルを聞いても分からない、という人がいるかもしれないが(私は高校生になるまで知らなかった。吹奏楽部なのに。)おそらく冒頭のメロディは誰でも知っていると思う。

 今日みたいに台風が近づいてくるときときとか、なにか重大なことが起こりそうなときのBGMにはぴったりだと思うが、実際にニュースなどで使用したら「被災地を馬鹿にしているのか」とクレームがくるに違いない。はまりすぎというのも難しい。

 かといって、季節の話題のニュースでぶどう狩りのバックに流すにはあまりに不適当だ。これはこれでクレームがくると思う。

 例え話として、「一途なことが、必ずしも良い結果を招くわけではない」という恋愛アドバイスに使えるかもしれない。だめか。

2001年9月5

 4日にオープンした東京ディズニーシーだが、私と同じ浦安にすんでいる会社の上司は、プレビューの最終日である9月2日にも招待されたそうである。そのときの話をまとめるとこうだ。

・浦安市民全員招待の時よりもぜんぜんすいていた。
・近所の知っている人はあまり見かけなかったが、芸能人は沢山いた。
・夜のショーで森久美子が一番前にいて、一人で手をたたいていたりして騒いでいるのが遠くからでも分かった。
・ディズニーランドの夜の花火が特別な内容だった。

 その中でも、特にうらやましいと思ったのが次の話である。

・入場するときにチケットが配られて、それをレストランにもっていくとなんでもただになる。さらに、パーク内のいたるところで売っているポップコーンなどは全部ただ。

 うらやましい。本当にうらやましいが、あまりに出来すぎている。何か裏があるのではないか。多分、ロバにされてどこかにつれていかれてしまうに違いない。きっとそうだ。

 「鉄鋼団地のむこうは不思議の町でした」 これは豚。 

2001年9月2日

 テレビ東京でやってる東京ディズニーシーの特番を見ている。レポーターがゆるくていい感じ。

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 新聞に折込んであったミニコミ紙を見ていたらそこかしこでディズニーシーに触れられていた。記者によるパーク内のレポートを始め、地元不動産会社の社長が書いているコラム、4コマ漫画のネタまでもが見事にディズニーシーなのである。やっぱり、みんな書きたいのだ。

 そんな中、市民招待期間中の犯罪がなかったという記事でこんなことが書いてあった。

石田周平浦安署長は、泥棒同士が情報交換をしているインターネット上のサイトに「ドロボーやるなら留守宅が増える浦安だ」との情報が流れたことを知って、「これは警察への挑戦だ」と奮起。署員にも「一件でも被害が発生したら、こちらの負けだぞ」とゲキを飛ばしながら作戦を練りました。

うらやすニュース 第270号(平成13年9月1日)

 泥棒がインターネットで情報をやり取りしている姿を想像すると、なんかかわいいが、それに受けて立つ警察署長も、「挑戦だ」とか、「こちらの負け」とか、なんか妙に漫画っぽい。この勢いだと、いざ、泥棒を見つけたら、ルパン三世張りのカーチェイスでも繰り広げるんじゃないか。

やっぱり、夢と魔法の王国を抱えている市だけあると思う。

2001年8月30

 つたない文章と一向に更新されないメインコンテンツにお付き合いくださいまして、本当にどうもありがとうございます。多分、これからも相変わらずな気がしますが、良かったらお付き合いくださいませ。

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 下痢の薬の代表格といえる正露丸がどうもまずいらしい。読んでないのでよく知らなかったが、ベストセラーになった「買ってはいけない」に載っていたそうなので案外有名な話なのかもしれない。

 しかし、正露丸が店頭から消えたときに、それを受け入れることが出来るのだろうか。少なくとも他の下痢の薬をすぐに挙げることの出来ないであろう現状からして、相当な混乱を招く気がする。しかも、今まで効いていたと思っていたものを頭から否定されるのだ。この感覚はカルトから脱退させられる信者の感覚と同じではないか。

 まあ、時間が経てば大概直るし、直らないときはおそらく正露丸でも直らないところが、救いといえば救いではある。

 あ、あと、前回書いた続きですが、夜中に腹痛で目が覚めるようなことはなかったものの、翌日おなかが重かったです。これはこれで、いや。

2001年8月27

 郵便局の近くにチェーン店のラーメン屋がある。そこそこ好きなので、不在票をもらって品物を取りに行くときなど、郵便局に用事があるときには大概寄っている。

 ただ、ここ数ヶ月、ここのラーメンを食べると夜中にひどい腹痛で目がさめるのだ。太麺で硬めにゆでてあり、噛み切れずに丸呑みしがちなので胃に負担がかかるのだろうか。いっしょにビール飲んだりしてるし。

 そんな中、今日も郵便局に行く用事があったので、いつものようにここのラーメン屋に寄った。ただ、さすがに学習しているので、ビールは頼まなかったし、辛いメニューも避けて、意識して麺を良く噛むように心がけた。自宅に戻ってからも、胃腸薬をのむ慎重さだ。もう、これで腹痛で目を覚まし、半分寝ながらトイレにこもるなんていうこととはおさらばだ。

 本人は勝った気でいるが、ラーメン1つに完全に踊らされている時点でもう完全に負けている。しかも、答えが出るのは、これからである。 

2001年8月24

 今週はもっと更新するつもりだったのですが、台風がきたもんで。

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 今日の朝、会社の入っているビルの通用口に、ドアのとこに“明和電機”と書かれた白いバンが止まっていた。もちろん、このユニットの車じゃなくて、ちゃんとした電気工事の会社のものらしい。

 なんとなく気になってタウンページのサイトで調べてみると、そのものずばりの会社が2社、社名の一部に含んでいるのをあわせれば5社、東京都内にあるようだ。

 明和電機の認知度がどれほどのものなのか、いまいちよく分からないけど、やっぱり、工事に行った先でお客さんに「今日はあの楽器、持ってないんですか」とか言われるのだろうか。

 そんなときのためにフォークギターを常に用意しておいて、これが俺なりの明和電機だ、といわんばかりの弾き語りを見せてほしい。呆然とするお客さんを尻目に、熱い思いの丈をぶつけるのだ。

 こうなってくると、そもそも明和電機というのがなんなのか、よく分からなくなってくる。やっている本人もその答えをもとめて一人旅立ってしまうかもしれない。

 まあ、電気工事会社なんですが。

2001年8月15

 こうして夏は過ぎていくのです。

もっとはっきり写っている写真もあるにはあるのですが、怖いので出しません。

 13日に、渇水が叫ばれて久しい利根川の上流の群馬県水上町にあるダムに足を運んだ。その中で、最大の貯水量を誇る八木沢ダムでの出来事。いつものようにぱちぱちとデジカメで写真をとっていると、ダムの中央部で普通の観光客とは何かが違う男女2人組みが、おかしなポーズをとっていた。(写真右の白いシャツを来た2人組)

 最初、通り過ぎるときはそんなに気にはならなかったのだが左岸にわたりきって改めて見てみると、違和感を感じずにはいられなかった。片手に笏(聖徳太子が持ってるやつ)を持って、それを天に掲げてみたり、上流に向けてみたりと、まるで舞でも舞っているかのような動きなのである。

 この現場を目撃した時には、こんなところでこんなことをやる理由というのがまったく分からなかったのだが、今回のダムめぐりに巻き込まれた弟が言うところの「雨乞いなのでは」という説がどうも一番もっともらしい。多分そういうことなのだろう。

 しかし、雨乞いというのは自主的に個人的に行うことなのだろうか。うまく説明できないけど、こういったことというのは、たとえば村とかそういった集団の総意で行われるべきであって、例えそういったものと同じことをやったとしても人知れず行われるのは似て非なるものな気がする。

 少なくとも、今後貯水率が回復したときにあの人たちの影がちらつくのがちょっと悔しい。何でもいいから救世主になりたい人や、自分の中の内なる力を見出したい人は雨乞いをするといいかもしれない。お手軽なのに効果抜群だ。

2001年8月13

 盆休み、盆休み。

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 群馬に帰るために新幹線に乗ったのだが、隣に座った20代くらいの若い女性が座るなりかばんの中から「こち亀」を取り出して一心不乱に読み出した。しかも、肩を斜めに構えてである。

 こち亀は確かに面白いが、若い女性が人前でやることじゃないと思う。

 とは、書いてはみたものの、「東京ディズニーシーで成人男性が一人で(多分)ニコニコしながらデジカメ片手に歩いてる」という今日自分がやってきたことと比較すると、これ以上言及したら墓穴を掘るような気がするので、「歳相応の行動と言うのは難しい」といったまとめでやめとこう。

 あと、ダムをみてニコニコするのも、なんかだめな気がするので、どうやら、だめなのは対象ではなく、ニコニコするという行為自体らしいということもわかった。

 気をつけないと。

2001年8月11

 なぜか休出しないといけなくなって、甲子園にはいけそうもない。

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 今日はディズニーシーの浦安市民招待日の初日である。広報に「当日は市内のパトロールを強化いたします。」と書いてあったとおり、市内を消防車が巡回しているようでカーン、カーンという独特の鐘の音が聞こえてくる。真夏の昼間に聞こえるのは何か不思議な気分だ。

 しかし、あの鐘の音には、なにかこの世の果てといった感じを受ける。しかも消防車は走っているから、ドップラー効果が効いて、通り過ぎると1段低くなるのだ。もう、それが、地の果てから響いてくるようで、小さいときにやたら怖かった覚えがある。いまでも、あの音を聞くと底知れぬ不安に陥いったりしがちですけど。

 消防車に乗っている人はそういう不安に駆られたりしないのだろうか。これから現場に直行とかいうときは、サイレンが鳴っているから気にならないのかもしれないが、今日みたいにパトロールとかだと、延々この音だけを聞くことになるはずだ。私だったら、鐘の音をきっかけにいろんなトラウマがよみがえってきて、市内を回り終わるころには半泣きになっている気がする。精神衛生上よろしくない。

 行政は火事から市民を守るためだったら何をしても良いと思ってるのか、と言ってみたが、これは間違っている。家燃えたらやだし。

2001年8月10

原爆ドーム

 急に2日ほど夏休みが取れることになったので、青春18きっぷを握り締め、広島に行って来た。

 平和記念公園でちょっとはまじめなこと考えたり、お好み焼き食べたり、と広島らしいことをしてきたのだが、一番は広島市民球場でみたカープ戦である。平和記念公園のそばにあるのをみて、別段プロ野球ファンでもないのに「やっぱり広島といったら広島カープか」とネタ半分の軽い気持ちで観戦していたのだが、その日がたまたまものすごい乱打戦で、試合自体とものすごいファンの応援に完全にのまれてしまった。もう、このままファンになってしまいそうな勢いである。

 とりあえず、今日の試合結果を見てみたのだが、完全に打ちのめされているようである。しかも、順位を見たら最下位ではないか。ヤクルトは首位だし。なんか、調べれば調べるほどファンから遠ざける要素ばかり出てくる。そもそも、ちょっと試合を見たくらいでこんなに入れ込む必要があるのだろうか。ひょっとして、あの応援の輪に入りたいだけで、たとえばいっしょに立ったり座ったりしたいだけじゃないのか。

 いや、それはちょっと否定できない気がします。

2001年8月4

 東京ディズニーシーが9月にオープンするのに先立ち、報道関係者やら株主やらなどをを対象にしてプレビューイベントを行っている。それに参加したらしい人が首にパスポートをかけたままとか、普通の柄とちょっと違うおみやげのバックを持って京葉線を利用しているのを時々見かけるようになった。

 Yahoo!オークションではかなりの高額で取引が成立されてたりしているのを見る間でもなく、プレビューイベントに参加できるのって言うのは結構貴重な体験で、それを周囲にアピールしたいって言う気持ちもわからなくもない。しかし、ちょっと見ていると恥ずかしいものがある。 

 とか書いておいてなんだが、私も一応浦安市民(市民歴2年)なので、12日に中に入ることが出来たりする。見てきたら、きっと、このコーナーに感想書いたり、下手すると「堰堤のまわりで」あたりにレポートを書いてしまうような気がする。これじゃ、やってることがおんなじだ。とりあえず、「やっぱりね、はしゃぎたくなりますよね。」と同情するふりして遠まわしにフォローを入れといてみたりして。

 あ、あと、モノレールは9月にならないと普通の人は乗れないみたいです。今日、会社帰りに試しに乗ってみようと思ったら、モノレールの駅前に看板が立っていたので、「ちぇっ」とか思った次第。

 普段だったら絶対にしないこんな分かりやすい悔しがり方をしている時点で、相当浮き足立っているのがよく分かる。

2001年7月31

 高校野球県代表なるも 無賃の仕事で応援にいけず じっと手を見る

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 最近、不必要に忙しい。5割方は私のトロさからきているとは思うのだが、それに普通の忙しさが重なっているために無意味に忙しくなっている。忙しさに踊らされてるといった感じだ。

 そんなこんなで、疲れがたまってくると目の下に隈が出てきたりする。かつては、そんな顔を見てなんとも嫌な気分になっていた。しかし、分かりやすく疲れと比例して出来るものだから、疲れをまるで具現化しているようで、最近は、このつらさを分かち合えるなんともいとおしい存在になりつつある。

 癒し系キャラクターのグッズが受けて久しいが、この仕掛けを応用すればキャラクターを用いなくても癒し系グッズが作れるのではないか。たとえば、アナログ式の血圧計みたいな形で、帰宅時間や仕事用のパソコンの起動時間に応じて水銀柱が登っていくとかどうだろうか。キャラクターなどに頼っていない分、癒しが純粋だ。メタ癒し系とでも言うべきか。

 っていうかもう寝ます。 

2001年7月26

 いまさら言うのもなんですが、連休中、母校の野球応援で楽器を吹いてたり、「千と千尋の神隠し」を見たり、ダムを見に行ったりしてました。夏らしい休日の過ごし方。

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 地元紙がやっている、高校野球の地方大会の試合進行(といっても点数だけだけど)をリアルタイム更新してくれるサイトがある。試合のある日などは画面の片隅にブラウザを立ち上げておいて、事あるごとに更新ボタンを押したりしている。

 さて、このサイトにある母校のチーム紹介の中で、顔がアンパンマンに似ている選手を紹介していた。この選手が打席に入るときは「いいぞいいぞアンパンマン」という声がかかるらしい。応援に行ったときに貸してもらった楽譜の中に、結局やらなかったのだが「アンパンマン」というタイトルの新曲があった。今思うと、どうやらこの選手のための曲だったようである。

 それにしても、幼稚園児や小学校低学年ならともかく、高校3年生で「アンパンマン」呼ばわりされるということは、果たしてどうなのだろうか。こんなニックネームで呼ばれたら、馬鹿にされていると捉えることが普通の反応だろう。しかし、そういった気持ちからは遠く離れた、純粋にがんばってほしいという気持ちをこめられて、大観衆から「アンパンマン」と呼ばれる、これは相当シュールな光景といえないだろうか。

 ひょっとして、知らず知らずのうちに、私は現代芸術の片棒を担がされていたのかもしれない。

2001年7月20

 高校生の時、終業式のあとにある生徒指導の先生の話の中で、「飲酒・喫煙は絶対にしない」とか「いかがわしい場所には近寄らないこと」といった注意と共に必ず出てきたのが「ローラー族には関わらないこと」という注意だった。

 ひょっとしたらごく一般的な言葉なのかもしれないが、少なくとも意味がわからなかった私は、「ローラー」という語感から峠を攻める人たちのことを指しているのだと勝手に理解して、「そりゃ、無免許で車運転しちゃまずいだろうな」とか思っていた。しかし、2年生のときに「ローラー」というのは「ロックンローラー」のそれという意外な事実を知らされた。どうやらロックンロールに合わせてみんなで踊る人たちなのだそうである。

 そんなこんなで先生の言いつけどおりに、ローラー族には関わらないどころか、その存在を実際に見ることも無く高校生活をすごし、無事卒業した翌年の夏休みのこと。帰省のために前橋駅を降りると、昼間の駅前ロータリーからオールディーズの軽快な音楽が聞こえてくる。何かイベントでもしているのかと思いつつ駅舎を出ると、そこでは17・8くらいの少年少女がツイストを踊っていた。

 おそらく、この集団を「ローラー族」と呼べばよいのだろう。しかし、この健全さ。少なくとも私にはまぶしすぎて、関わろうにも関われなかったと思う。 

2001年7月15日

 「たま」が出てくるお芝居見てきました。そのあと「Webやぎの目」のイベントにもいったりして。

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 そのお芝居をやっているところの隣では少年隊のステージをやっていたようで、入り口に大きな看板がかけられていた。時々、ワイドショーなんかで少年隊のステージがニュースになるが、どうやらそれらしい。ただ、純粋に少年隊だけのステージなのかというとそうでもなくて、嵐やらV6やらといった中から1人ずつくらい出演するらしく、多分そっち目当てであろう女子高生がうろうろしていた。

 さて、その入り口にある看板であるが、どうも下のほうの余白がごちゃごちゃしている。なんだろうと思い近づいて見てみると、びっしりと落書きがしてあるのである。「なんだ、これ」と思いよく読んでみると、別に公衆便所のような落書きでもなければジャニーズに対する誹謗中傷でもなく、ただ出演者(しかも、少年隊以外の)に対する「がんばって」とかいった応援メッセージが書いてあるのである。

しかも、「○○クンがんばって」的な文章にとどまらず、出演者かどうかはよく知らないけど、多分ジャニーズ事務所所属の人の写真の切り抜きが貼り付けてあったりしていて、なんだかわけがわからなくなっている。もう、ここまでくると応援というより、ファン自身の内面にあるものを投影した物になっていて、なんだか、神社の絵馬のような、見てはいけないようなものを見てしまったような気分になった。

 しかし、落書きの文章を見ていると、どれも「初出場おめでとう」とかいった感じの書き出しで書いてある。初出場とか○回目とか、まるで高校野球みたいだ。

 どうやら、甲子園スタジアム自体を応援する人がいないように、少年隊は応援するものではなく、ステージそのものという位置付けなんだと思う。

2001年7月8日

 このサイトの中で私は“takane”と名乗っているが、別に苗字が高根さんなわけではない。しかし、全然関係ない場所で呼ばれる「たかねさん」という言葉に反応してしまうことが時々あり、なんとも恥ずかしい気分にさせられることがままあった。

 しかし、この「たかね」という言葉を取り巻く状況は変化しているらしい。というのも何気なくサーチエンジンを見ていたら、どうやら「たかね」という名前の登場人物がいるギャルゲーがあるようなのである。

 一応、このゲームの発売以前からこのハンドルネームを使っていたわけだが、こういう状態になってしまった以上どっちが先とか言っている場合ではないのである。何しろ、サーチエンジンの検索結果にそんなことは反映されない。しょうがないから、とりあえず謝ろう。

 もし間違えていらっしゃった方がいらっしゃいましたら、本当にすいません。こんなサイトですがもしよろしければご覧ください。あと、私はどっちかっと言うと、ガーデニングというよりスポンジの上で発芽させたり、水中にある種子に水槽用ポンプで空気を送り込んで発芽させたりするほうが好みです。

2001年7月3日

 先週の金曜、客先に向かう途中で昼食を取っていたら、ビビンバを注文した男性が追加のコチジャンをかたくなに注文していた。一度店員さんに注文して、しばらくしても一向にこないので、店員さんに催促するという一途さ。しかも、その間ビビンバには一切手をつけようとしないという徹底振りである。

 はたして、薬味ひとつでなぜここまでするのだろうか。しかも忙しいビジネスマンの昼食に、である。

 ひょっとしたら、単なる薬味だと思っていたのは私のビビンバ経験が不足していたためで、本当はカレーライスにおけるカレールー、ラーメンにおけるスープのようなポジションのものなのではないか。

 と、思っていた所、今日同じところで昼食を食べることになったのでビビンバを注文してみた。しかし、コチジャンを追加するどころか、むしろつけないほうが私にとってはおいしく感じられた。どうやら、ビビンバの道は長く険しいようである。

2001年6月28日

 

 ソプラノリコーダーを買ってきた。プリマという名前でモーレンハウエルというドイツの会社が作っているそうである。

 赤い頭部管は合成樹脂で出来ていて、残りの部分は木製である。加工が複雑な部分を樹脂で作っているせいか、全部プラスチックで出来ているものと値段的にはそれほど変わらない。しかし、実際に吹いてみると、小学生の時に使ってたのに比べて太くやわらかい音がする。

 小学校や中学校の時はリコーダーなんて、と、馬鹿にしていたが、今改めてこの楽器を手にしてみると結構面白い。そういえば、音楽の教科書にホルストの木星をリコーダー用にアレンジした楽譜があったような記憶があるが、どんなのだったんだろう。ちょっとやってみたい気がする。

 と、ここまで書いたところで、私がこのサイトで書くことに「遠足」だの「社会科見学」だの「小学生の女の子」だの、そして今日の「リコーダー」と妙に小学生に関することが多いことに気付いた。思いがけず自分の中にある何か深刻なものの片鱗に触れてしまったような気がする。

2001年6月25日

 6月14日の中で書いた女の子から電話がまたかかってきた。

 今度は留守電ではなく、直接出られたので、この番号が間違えだということを女の子に伝えることが出来た。これで一安心である。

 しかし、今回またかけてきたということは、前回の時に気づかなかったということではないか。この女の子のあっけらかんとした性格もすごいが、電話の相手の女の子もかなりいい性格なのではないか。穏やかでほんわかした、ちょっとお嬢さまタイプといったそんな性格の気がする。

 活発であっけらかんとした女の子に、お嬢さま…。

 なんかNHK教育のドラマにとどまらず、世界の平和を守りそうな気がしてきた。

2001年6月24日

 このページをご覧になっていた方はもう気づいていたのかもしれないが、更新情報や、この文章についている日付が2000年になっていた。

 2000年に気づいて、なおかつ間違っていると理解できた人ならば、「やっと気づいたか。」とか思うのかもしれないが、更新情報をみて、去年で止まっているページだと思われた方がいたとしたら、すごい誤解を与えてしまったような気がする。これは、まずい。

 そもそも、2001年だというのに、世の中が目に見えて未来じゃないのがいけないのだ。21世紀という時代に世界が追いついていない。と、八つ当たりしてみたところで、どうにもならんということは分かっているが、何かにあたらずにはいられない気分である。

 ともかく、私は元気です。

2001年6月20日

 郵便局に用があったので、バスに乗るために普段は使わない舞浜駅で降りた。東京ディズニーランドのまん前にある駅である。

 駅の階段を下りてバスの乗り場へ歩いていくと、ギターとハーモニカの音がどこからか流れてきた。どうやら、半ば観光地みたいなこの駅にも、路上ライブをする若者がいるらしい。しかも、お世辞にもうまいとはいえない、というかはっきり言って下手である。ボーカルが伴奏とリズムこそずれていないものの、音程がめちゃくちゃだ。あがりきれていないし、下がりきれてもいない。

 ちょっと外へ目を向ければ、ラグやディキシーランドがいつも流れていて、まさに古き良きアメリカを髣髴とさせる場所がそこにはある。神出鬼没に現れるバンドも、決しておまけじゃない、しっかりしたパフォーマンスでゲストを楽しませてくれる。まさに、「夢と魔法の王国」。なのに、一歩外へ出た駅前はこんな状態。

 そうか。これが現実なのか。

2001年6月14日

 会社から帰宅して留守電を見ると、着信があったことを知らせるランプが点滅していた。

 どこからだろう、と思いつつ再生させてみると、小学校低学年といった感じの女の子の声。間違い電話である。少し前からたびたびかかって来るのだが、いつも留守番電話で、しかも、応答メッセージが自分の声ではなく、電子音の女性の声なので気づかないのだろう。

 何の気なしに、録音メッセージを聞いていると、どうやら学校帰りに友達と些細なことでけんかをして、けんかの相手のこのことをひたすら愚痴っているようである。しばらくして、電話の相手に、けんかの相手へ電話してほしいとお願いをしてきた。なぜ電話してほしいか、別段理由を言っているわけではないが、どうやら「本当は仲直りがしたいんだけど直接いえないので仲裁してほしい」ということらしい。全部伝え終わって、肩の荷が下りたらしく、最後にはクラスメートの物まねで閉めてくれた。

 これはもう、NHK教育のドラマの世界である。強気なんだけど面と向かってごめんとはいえない電話の女の子のいじらしさが、なんともさわやかな気持ちにさせてくれるではないか。

 問題は、私がそのことを知っているということだろう。今回はさすがに気づいただろうか。

2001年6月10日

 私が立山カルデラ体験学習会に参加するために富山に滞在していたとき、富山県内は富山国体で沸き返っていた。

 テレビやラジオのニュースは富山国体の話題で持ちきり。高校生がボランティアとして会場の設営や運営にあたったとか、皇族が富山県入りされたとか。そういったニュースを地方の時間枠をフルに使って放送していた。そういえば、富山市内の宿には、「歓迎 ○○県体育協会様」のような看板がかけられ、どこも満室だった。

 しかし、そんな熱気も全国に伝わることは無かった。なぜなら、1週間後に開幕するシドニーオリンピックに国内の関心は向いてしまっていたからである。選手は選手で、普通だったら出場するであろう国内トッププレイヤーは皆シドニーに行っちゃってるし。

 今考えるとあの沸き返り方は、関係者のヤケだったんじゃないかと思う。

2001年6月6日

 バーコードリーダを手に入れた。コンビニのレジにあるあれである。

 以前、仕事でいじったことがあり面白そうだとは思っていたが、いざ購入するとなると7・8万くらいは平気でするものなので、購入には至らずにいた。しかし、ジャンク品として1個4,000円で売っていたので、思わず手が伸びてしまった。

 使い方は簡単で、キーボードのプラグとパソコンの間につなげるようになっていて、読み取ったバーコードのデータがキー入力としてパソコンに入ってくる。デバイスドライバも何もいらない。

9784592881445

 これは、なんとなく読み返していた「動物のお医者さん」の物である。

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 これは、Microsoftから送られてきたCDの封筒にあった物である。商品とかについてる種類の以外のバーコードも、ばしばしスキャンして文字を吐いてくれる。斬っては捨て、斬っては捨てといった心持だ。

 いろんなものをスキャンしていると、だんだんと何か作りたくなってくる。「POSレジはレシート印刷するプリンタがないとだめだけど、レンタルビデオショップ向けの管理システムだったらできるかも。」とか、「もっと、身近なもので小中学校の図書館向け蔵書管理システムはどうだろう。」とか、やたらと創作意欲を掻き立てられる。

 最近、仕事に対しての意欲に欠けているような気がしていたが、足りなかったのは、プラス思考でも自己啓発でもなく、バーコードリーダだったことに気づいた。 

 

2001年6月1日

 私は戦隊ロボット物とか、そういうものに対してあまり興味を持たない、というかちょっと小ばかにしているタイプだった。

 だから、そういう番組をやっていてもほかの番組を見ていたり、あるいは、見るものが無くてしょうがなく眺めているという状況だったので、幼稚園などでは話が合わず、なんとなく浮いているということが割にあった気がする。

 さて、私の感じるダムの魅力というのは、使用されている技術レベルの高さにとかそういうことでは無く、もっと単純な「大きいから」とか「かっこいいから」とかそういうレベルの話である。だから、ダムというものを理解してもらおうと思ってもなかなかうまく説明することができない。

 どうも、そういう感想を持つ対象と時期がずれてしまったばかりに、何もかもずれてしまっている気がする。

2001年5月27日

 髪を切ってもらっていたら、急に眠くなってきた。

 起きていようとしても段段意識が遠くなり首が傾いてくる。そのたびに美容師さんに「大丈夫ですか」と声をかけられた。確かに、首が変な方向に曲がっていては切りにくいだろうし、第一、危ない。しかし、「大丈夫ですか」という声をかけられても困ってしまう。応急手当じゃあるまいし。

 幾度となく「大丈夫ですか」という声をかけられて、一応仕上がった。しかし、最初に髪は下ろしてると伝えていたのに、なぜかしっかりワックスを使って無造作な感じに仕上がっている。適当な格好をしていたので、なんだか寝癖みたいである。

 多分、ささやかな反抗だと思う。

2001年5月26日

 相変わらず、サーチエンジンには登録されません。が、今の状態でやたらとこられても逆に困ってしまうので、これはこれでいいかもしれません。

 さて、ここはこんな調子ですが、Vectorに登録している私の作ったFM-TOWNSという古い独自規格のパソコン用アプリのダウンロード数が、2年位前に登録して以来、なぜか月間30ダウンロードくらいをずっとキープし続けています。おそらく、自分のパソコンで使えると勘違いしてダウンロードする人がいるからだと思いますが、使い方のわからないファイルを前にして呆然としている人がいるかと思うと、こちらも困りものです。

そんなわけで、今週末中にダムめぐりを少なくとも1つ追加できるとおもいます。一応予告まで。