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ダム年鑑を読んでみる


調査日:2003年7月25日

 ダムに関心を持った人が、まず、必要とするのは、ダムの所在地を始めとする網羅的な情報ではないだろうか。そして、そういった情報を追い求めるうちに必ず行き着くのが、財団法人日本ダム協会発行「ダム年鑑」ではないかと思う。今回は、そんなダム年鑑がいったいどんな物なのか、紹介していきたいと思う。しかし、B5版で1600ページ超、価格も2万円弱と、物理的にも価格的にもおいそれと手がでる代物ではない。そこで、近所の県立図書館にある1995年・1989年、そして1964年版をターゲットとして見ていきたいと思う。

 まず、本の顔の表紙である。64年版と89年版は、富山県にある黒部ダムの写真が用いられているが、95年版では平成6年度の「森と湖に親しむ旬間」全国行事会場にちなんでか岐阜県の阿木川ダムになっている。64年と89年に採用されているところから推測するに、おそらく長い間黒部ダムが表紙を飾ってきたのであろう。関係者の間でも黒部ダムは別格なのかもしれない。

 次に中身だが、まずは最近の95年版から見て行きたい。95年度版は大きく6編で構成されている。この構成は89年版やダム協会のサイトにある2003年版の目次を見ても変わっていないので、基本的にこのフォーマットで落ち着いているようだ。各編のタイトルをピックアップしてみると次のようになる。

 第1編は二部構成になっており、前半はダム事業の現状の総括や新規事業の説明、そのほかトピックスが文章でまとめられており、後半は計画・建設中のダムが表でまとめられている。 第2編がこの本の大部分を占めている既設ダムの一覧である。まずは水系別にすべてのダムが一覧表にまとめてあり、その後に事業別や目的別といった個別の切り口による表が掲載されている。第3編が発電所設備について、第4編が水源地対策事業についてまとめてある。第5編は、施工業者やゲート・発電機といった設備の納入業者が掲載されている。そして最後の第6編は、統計表と各地域ごとに川とダムの位置が記入された地図が掲載されている。

 基本的に文字と表ばっかりで写真等はなく、眺めて楽しむような使い方はできないと思うが、水系別に整理されているのでダム巡りの計画を立てたりするのには便利だと思う。また、施工会社や年代といった切り口でダムを整理するといった場合にも使えるだろう。ただ、データを細かく整理しようすると、パソコンが欲しくなる。ここは一つデータがCSVあたりで記録されたCD−ROM版を、半額くらいの値段で出していただけるとうれしいな、思う。

 次に64年版である。まず、64年という年の位置づけを確認しておくと、黒部ダム完成(63年6月)の翌年であり、東海道新幹線が走り東京オリンピックが開かれるという、まさに戦後の黄金期という時代である。また、国会図書館の蔵書データベースによるとダム年鑑の刊行が1960年からとなっていることから、まだ刊行されて間もないものであり、構成も現在の物と大分異なっている。

 中を見てまず目を引くのが広告の多さだ。しかも、建設業関係だけではなく、三和・住友といった銀行にパンアメリカン航空、果ては丹生川上神社の広告(なんでも水神・岡象女大神を祀り水神社としては唯一の旧官幣神社で佐久間・奥只見・御母衣に分祀されているとのこと)まであってにぎやかだ。当時の業界を取り巻く状況になんとなく触れられるような気がする。

 そのほかに、世界のダム事故から保守管理・災害保険について触れられていたり、地震や地滑りに対しての対策の欠如について論じられていたりするところを見ると、ダムがそれなりの数作られてきて、実務上の問題が建設だけでなく、運用にも広がってきたということなのかもしれない。

 さらに特筆すべきなのが「下筌ダム(蜂の巣城)夜話」と題された元九州地建河川部長で大阪のゼネコンの顧問を行っている人の記事である。蜂の巣城紛争については検索していただければ詳しい解説を見ることができると思うので、他方の解説を参照していただきたいが、戦後の公共事業の進め方について大きなターニングポイントとなった出来事とされている。そのことについてざっくばらんに書かれているのだが、その反対運動の中心人物である室原氏について、今から見ればビックリするような事を書いている。ちょっと引用すると

―我々も先方の技術的な疑問に対しては資料を整え、説明これつとめたわけだが、もともと室原という人は自分に都合の悪いことには全然耳をかそうとしない人なので、どんな説明を試みても無意味ということなのである。―

―こうは言ったものの、この渦中にあって、つらつら私が考えてみた結果は室原さんの反対は山奥におけるボスとしての室原さんのメンツ保持以外に、どうしてもその理由を見出し得なかったのである。―

 いくら何でもざっくばらんすぎだと思う。ただ、こういう表現がそのままのるところを見ていると、その行為が社会に対して受け入れられるという絶対の自信が感じられるし、実際に受け入れられていたんだと思う。そんなところに時代の若さみたいな物が感じ取れて、また、その若さ故に社会が全速力で突っ走れたのかななんて事を思う、と綺麗にまとめたつもりで終わりにしたい。

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